フリーターが行く!趣味とハワイとグルメ探訪

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マルク・シャガールの生い立ち(趣味)

 

マルク・シャガールは、20世紀を代表するロシア出身
パリのアーティストである。
1887年に生まれ、1985年に世を去っている。
また日本では明治20年にシャガールは誕生した。

シャガールはロシアで生まれ、厳格なユダヤ人の家庭で育っている。
彼の出身地、北西ロシア(カフカス・ロシアもしくは白ロシア)に位置する
ヴィテブスクは、その当時、総計約5万人の人口の半分ほどが
ユダヤ人で占められてた。

繁栄する港町ヴィテブスクには鉄道や工業基地、
荘厳な大聖堂などがあったが、住居の大半は
祖末な木造家屋だった。裏庭や未舗装の道のあちこちには、山羊や鶏
牝馬などが歩いていた。それらの動物たちは、シャガールの絵の
中にも存在しえるだろう。また、近所の人たちや親戚たちが低い屋根の上に
登っては、町中を見回したり天を仰いだりしていたことも
シャガールの芸術の中に垣間見えるだろう。

ユダヤ人家庭に育てられた彼にとってユダヤ教
大いなる影響を与えられたと考えられる。
その当時のほとんどのユダヤ人がそうであったように、シャガール家も
ユダヤ教の信仰復興運動の一派、ハシディスムに入信していた。

ハシディスム教に仕える彼らは、神との触れ合いを得ようとする努力の中で、
熱意と喜びが重要であり、またタルムード(ユダヤの律法の注釈と応用)の
学術的で厳格な伝統とは別ではあった。

シャガールの特徴的なふんわりとした夢のようなヴィジョンは
それらの精神と神話を受け継いでいるかのように見受けられるだろう。


年表

1887年7月7日 ヴィテプスクで誕生

1906年 ヴィテブスクでイェフダ・ペンの絵画教室で学ぶ。

1907-10年 サンクト=ペテルブルグ帝国芸術奨励協会の
美術学校とサンクト=ペテルブルグの私立学校で学ぶ。

1910-14年 パリのメーヌ小路に住む。1911年、ラ・リューシュに移る。
パブロ=ピカソジョルジュ・ブラックアメデオ・モディリアーニ、アレクサンドル・アルキペンコ
ギヨーム・アポリネール、マックス・ジャコブ、ブレーズ・サンドラールといった
著名な芸術家や作家と知り合う。

1915年7月 ベラ・ローゼンフェルトと結婚。

1915-17年 ペテログラード(サンクト=ペテルブルグ)の戦時経済局で働く。

1916年 娘イダ誕生。

1918-19年 ヴィテブスク地方人民教育局の芸術人民委員に任命される。

1920-21年 マレーヴィチやエル・リシツキーとの対立から、シャガール
ヴィテブスクを離れる。モスクワとその郊外に住む。

1922年 ナタン・アールトマン、ダヴィド・ステレンベルクとグループ展をモスクワで開く。

1922-23年 カナウスへ旅行し、展覧会を開く。ベルリンを訪れる。

1923年9月 パリに落ち着く。

1926年 パリとニューヨークで個展を開催。

1930-31年 「聖書」の挿絵に取り組む。

1933年 ゲッペルスの命令によってシャガールの作品がマンハイム
公開焼却される。バザールで展覧会。

1935年 ポーランドに旅行。

1937年 フランス国籍を取得する。イタリアに旅行。

1939年 アメリカのカーネギー財団から賞を受ける。

1940年 ロワール、その後プロヴァンスに移る。

1941年 マルセイユで拘束されるが、釈放される。アメリカに移住する。

1943年 アメリカとメキシコの劇場のために制作する。

1944年 ベラ・シャガール、急逝。

1945年 イーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥
の舞台装飾と衣装を担当する。

1946年 ニューヨークとシカゴで展覧会。

1947年 パリの国立近代美術館で展覧会。

1948年 フランスに帰国。シャガールの挿絵による「死せる魂」が出版。

1950年 ニース近郊のヴァンスに移転。リトグラフと陶器に取り組む。

1951年 最初の石造彫刻を制作。ベルンとエルサレムで大規模な展覧会。

1952年 ヴァランティーナ・ブロツキーと結婚。

1953年 チュリン、ウィーン、ハノーヴァーで大規模な展覧会。

1956年 シャガールの挿絵による「聖書」が出版。

1957年 アシー、メッス、エルサレム、ニューヨーク、ロンドン、
チューリッヒ、ランス、ニースでステンドグラス窓に着手する。

1959年 フランクフルト・アム・ラインの劇場のホワイエ壁画を制作。

1963年 日本で展覧会。

1964年 パリのオペラ座の天井画を制作。

1966年 サン・ポール・ド・ヴァンスに転居。

1969-70年 ニースにシャガール美術館を設立。

1973年6月 ソヴィエト連邦文化省の招待でモスクワとレニングラードに旅行。

1977年10月 ルーヴル美術館で1967年から1977年に制作された
絵画の展覧会。

1982-84年 ストックホルムコペンハーゲン、パリ、ニース、
ローマ、バーゼルで大規模な展覧会。

1985年3月28日 マルク・シャガール、サン・ポール・ド・ヴァンス
にて98歳で死去。

1987年 モスクワでシャガールの大規模な展覧会。

 

80対20の法則(備忘録編)

成功するって、
本当はとてもカンタンなこと

 ユダヤ人大富豪の1人が、私にこう教えてくれました。

 「なぜ、成功しない人がいるのか? 答えはカンタンだよ。『してはいけない』とわかっていることをするからだ」

 このように「富と愛情を手に入れる法則」は、本当はとてもカンタンなことなのです。すでにあなたが知っていることなのです。それを、わざわざしかめっ面して難しく考えようとしたり、または、彼が言うように、「してはいけないとわかっていること」をするから、「富と愛情」からどんどん遠ざかっていくのです。

 カンタンな例をあげてみましょう。

 例えば「あいさつをきちんとする」なんて、誰でも知っている、とてもカンタンなことです。「いつもニコニコ、姿勢を良くして歩きましょう」もカンタンですよね。それを、なぜ、わざわざ両手をポケットに突っ込み、背中を丸めて、眉間にしわを寄せ、人と目を合わせるのをさけて歩くのでしょうか? もし、あなたが会社の部下として、将来性のある若者を指導したいと思ったら、どちらの若者を選びますか?

 できない人ほど、現実逃避して自己責任を取らず、他人のせいにします。
とてもカンタンなことを、わざわざ難しく考えるのです。

 100年ほど前、イタリアにパレートという経済学者がいました。今でも欧米では「パレートの法則」または「80対20の法則」と呼ばれ、広く知られています。

この法則によると、あなたは自分の貴重な時間とエネルギーの80%を無駄に使い、わずか20%の時間とエネルギーしか肝心な事柄に使っていない。会社では20%の従業員が、80%の業績をあげる。クラスの20%の生徒が学校問題の80%を引き起こす。そして究極的には、人口の20%の人間が富の80%を所有する(100年たった現在では、人口の10%の人間が富の90%を所有すると言っても過言ではないでしょう)。

「80対20の法則」で、
あなたの身の回りをチェック

 あなたは大切なお金の80%を無駄に使い、自分の将来への投資には20%しか使っていないのではないでしょうか? あなたの悩みの20%が将来や生死にかかわる重要なことで、残りの80%はもしかすると、どうでも良いことかもしれません。あなたの部屋の中にある物の80%はガラクタに等しい浪費の産物で、20%が本当に重要なものかもしれません。一方、世界のできる男や富める男達は、有意義に使う時間やお金の割合をできるだけ多くするようにしているのです。

 これは、あなたの生活態度にあてはまります。先ほど、ユダヤ人大富豪が「成功しない人は『してはいけないこと』をするからだ」と申しました。あなたなりの言い訳もあると思います。「例えば、タバコがからだに悪いとわかっていても、やめられない」「聡明な女性が良いとわかっていても、肉体派の女性が好き」「親にやさしい言葉をかけようとしても、素直になれず、いつもつらく当たってしまう」など欠点だらけなのが人間です。

 でも、ここで「人間だもの」と甘えていては、進歩がありません。100%完璧にしようとするから、できずに挫折するのです。ならば、「80対20の法則」を逆手にとって、「80%善い行いをしたら、めでたし、めでたし」というスタンスで行動してみませんか?

 もし、あなたがわざわざ両手をポケットに突っ込み、背中を丸めて、眉間にしわを寄せ、人と目を合わせるのをさけて歩く人であれば、両手をポケットに突っ込んで背中を丸めてもOKですから、ニコニコする。全額返済できれば、それに越したことはありませんが、とりあえず期日内に80%返済する。

こう考えると、取り組みやすくなりますよ。

No2の役割と心得

1.No.2が良いと伸びるわけ

スポーツのチームで考えてみましょう。
この本では、強いチームをこのように分析しています。

①的確な目標を立て、現有戦力に相応しい作戦を立てることができる。
②トップがたてた目標や作戦をチームに浸透させ、そこへメンバー全員の気持ちを誘導して一つにまとめあげる。
③各選手が、作戦を確実に実行できる技能を身につけ、充実した気力で試合に臨める。



以上の3つの要素のうち、①はトップの人が行うもの。
③は、いわゆる「現場」の仕事ですね。
そしてナンバー2の人は、①と③をつなぐ②の役割を担うことになります。

つまりナンバー2の人は、トップの人と現場の人を繋ぐ「かなめ」なのです。
組織・会社におけるマネジメントの基本である、「トップ→ミドル→ロアー」の流れの中で、重要な地位を占めているのです。

トップダウンにせよボトムアップにせよ、このミドルマネジメントがしっかりしているか否かで、組織・会社の成長は決まってしまうのです。



2.どういうNo.2かいいのか

上でも触れましたが、ナンバー2の仕事はずばり「ミドルマネージャーの総元締」です。

ドルマネージャーには

①トップの指示を下に伝え、隅々まで周知徹底させる
②現場の動きを絶えずチェックし、結果を上に報告する

という2つの役目があります。


ナンバー1の人は組織・会社全体としての進む先・目標を考えなければいけません。
なので組織・会社内をうまく回す役割が、必要でありとても大切であると言えます。
そしてそれを的確に行えるのが、「いいナンバー2」です。

頭脳はもちろん、腕や足などの末端にまで円滑な流れを生み出す…
ナンバー2は、組織の心臓のようなものですね。



3.どうしたら良いNo.2になれるか

「ナンバー2の心得」というものがあります。
それは

①トップの考え方を徹底的に理解せよ
②「自分の美学」を捨てよ
③ナンバー1に心底惚れよ
④どうしても惚れられなければ、尊敬せよ。尊敬できなければ、せめて好きになれ。好きになることもできなければ、仕方ないから形だけでもナンバー1を立てろ。
⑤愚直であれ。とことん愚直であれ。
⑥大いなるイエスマンであれ。
⑦トップにヒントを与えて、積極的に助ける黒子になれ。

以上の7つです。

これら全てに共通するのは「あくまでも組織の利益を考える」ということです。
ナンバー2として組織をうまく回すには、自分が目立ちたい・自分の意見を通したい・自分の手柄が欲しい…など「自分」を主張してはいけません。
自分を捨てることが必要です。

なので①トップの基本的な考えかたを知っておく必要があるし、②そこに自分の美学を差し込んではいけません。
④どんなことがあってもトップをバカにするようなことがあってはいけません。⑦ときには根回しを十分にしておいて、手柄のみをトップに与えることも必要となります。


*     *     *



上でも挙げたとおり、ナンバー2というのは決して華やかな役とは言えません。
自己犠牲能力が高い人、「縁の下の力持ち」が苦でない人でないと務まらない、大変な仕事です。

しかし組織・会社には間違いなく必要な役割で、場合によってはトップよりも重要なポジションであるとも言えます。

最後に重要なことを。
この「ナンバー2」というのは、(上手くいくかは別として)誰でもなれるものです。
「トップ=社長」「ナンバー2=副社長」ではありません。
ナンバー2は、「トップが2番目に信頼している人」でもいいのです。

また大きい組織のナンバー2は無理でも、その中のもう少し小さい単位…部署などのナンバー2として振る舞うんでもいいんです。
もちろん会社だけでなく、家族関係や趣味のグループにも応用することができます。

七つの習慣

なぜ習慣化が重要なのか?

 そもそも、なぜ「習慣化」が人生を豊かにするために重要なのでしょうか。端的に言うと、私たちの人格は「習慣の総体」であるからです。日常的な行動の繰り返し(習慣)によって人格が形成される以上、習慣を変えることがあなたの人格を変え、人生を変えることにつながるというのは理にかなっています。

 では、具体的にどのような習慣を身につければよいのでしょうか。

第1の習慣「主体的である」

 「主体的である」というのは「自分の人生の責任を引き受ける」ということです。私たちの行動は周りの状況によって決まるものではなく、自分自身の決定と選択によって決まるものです。

 私たちは、自分の身に起こったことで傷ついていると思っている。しかし実際には、その出来事を受け入れ、容認する選択をしたことによって傷ついているのだ。

 つまり、何が起ころうとそれが自分に与える影響やそれに対する反応は、すべて自分自身の中で選択することができるということです。この点を自覚し、状況や条件づけのせいにすることなく、自分の行動に責任を持ち続けることが第1の習慣となります。

第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」

 文字通り、死んだときのこと、つまり自分の葬儀の場面を思い描き、その時周りからどのような人物だったと見て欲しいのか、どんな貢献や功績を憶えておいて欲しいのか、その場にいる人たちの人生にどんな影響を及ぼしたかったのかについて、真剣に考えるというものです。

 葬儀で述べてもらいたい弔辞=あなたの「成功の定義」になると著者は言います。

 自分にとって本当に大切なものを知り、それを頭の中に植えつけ、そのイメージどおりになるように日々生活していれば、私たちの人生はまるで違ったものになるはずだ。

第3の習慣「最優先事項を優先する」

 第3の習慣は、第1と第2の習慣で身につけたことが元になります。すなわち、主体的に動くことができ、終わりから思い描くことで得た明確な方向感覚と価値観があってこそ、「最優先事項を優先」できるようになります。

 最優先事項とは「緊急ではないが重要な活動」で、あなたのミッション、価値観、優先度の高い目標の実現につながるものを指します。

 私たちは、緊急の用事には受動的に反応(react)する。だが、緊急ではないが重要なことをするには、率先力と主体性が要る。機会をとらえたり、物事を実現させたりするには、能動的に動く(act)ことが必要なのだ。

 第1〜第3の習慣までは、個人の自制がテーマとなっており、他者への「依存状態」から自立して「私的成功」をもたらすための習慣です。しかし、当然ながら他者との関わり合いなしに「公的成功」を得ることはできません。他者と協力してこそ、自分一人で出す最高の結果をはるかに上回る結果を出せます。このときに必要なのが「相互依存状態」であり、本書では「依存状態」と明確に区別しています。

 依存状態にある人は、望む結果を得るために他者に頼らなくてはならない。自立状態にある人は、自分の力で望む結果を得られる。相互依存状態にある人は、自分の努力と他者の努力を合わせて、最大限の成功を手にする。

 真に自立し「私的成功」を達した人間になれば、効果的な相互依存の土台ができます。この土台の上に、チームワーク、協力、コミュニケーションといった「公的成功」を築いていくのが第4〜第6の習慣です。

 

第4の習慣「Win-Winを考える」

 Win- Winは、「すべての人間関係において、必ずお互いの利益になる結果を見つけようとする考え方と姿勢である」と定義されています。

 人生を競争の場ではなく協力の場ととらえて、何かを決めるときも、問題を解決するときも、お互いの利益になり、お互いに満足できる結果を目指します。

 Win-Winの根本には、全員が満足できる方法は十分にあるという考え方がある。誰かが勝者になったからといって、そのために他者が犠牲になって敗者になる必要などない、全員が勝者になれると考えるのである。

第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」

 私たちはしばしば、問題をきちんと理解せずに解決しようとします。誰かに相談されたときも、相手を理解したり、共感しようとすることなく、自分の正しいと思う考えを伝えるだけの、いわば「診断せずに処方箋を出す」ようなまねをしているのです。

 第5の習慣では、「まず理解に徹する」ために、共感による傾聴を勧めています。これは、相手の身になって聴くことであり、相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことです。

 共感とは、相手の視点に立ってみることである。相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。それによって、相手のパラダイム、相手の気持ちを理解することである。

第6の習慣「シナジーを創り出す」

 ここまで学んできた習慣を総動員し、最高のシナジーを創り出すことが第6の習慣です。

 シナジーとは、簡単に言うと「全体の合計は個々の部分の総和よりも大きくなる」ということです。1+1が3にもそれ以上にもなることで、奇跡としか言いようのない結果に到達できると著者は言います。

 他者とのコミュニケーションが相乗効果的に展開すると、頭と心が開放されて新しい可能性や選択肢を受け入れ、自分のほうからも新しい自由な発想が出てくるようになる。

第7の習慣「刃を研ぐ」

 第7の習慣は「刃を研ぐ時間をとること」で、これは第1〜第6までの習慣を取り囲む位置にあります。

 「刃」とは、人間を形成する四つの側面(肉体、精神、知性、社会・情緒)のことで、これら全てを日頃から鍛え、バランスを考えて磨いていくことで、すべての習慣が実現しやすくなると言います。

 自分という道具に投資することが「刃を研ぐ」習慣なのである。自分自身を道具にして成果を出し、効果的な人生を生きるためには、定期的に四つの側面すべての刃を研ぐ時間を作らなければならない。

 

日記系ブログ

 

ブログは手紙のように書く

日記系のブログを書くとき気をつけることは日記でなく、手紙を書く感覚を大切にすることです。

自分のためのブログなら日記と同じ書き方で良いですが、少なからず情報発信の目的があるなら「手紙」のように書くべきです。

日記と手紙は誰に伝えるかに大きな差があります。日記は自分用のため感覚的な文章になります。自分がその時の状況を思い出せれば良いからあまり状況説明はいらないです。

一方、手紙だと遠く離れた人に自分の状況を説明するため、日記よりはるかに丁寧で親切な文章になります。情報発信のためなら丁寧な文章が読者には分かりやすく、より引き込まれて共感が得られます。

 

俺より僕より私で書く

自分のことをどう書くかは結構重要です。女性なら「私」と書くのが一般的ですが男性の場合は悩みます。

カッコ良く「俺」にするか、フレンドリーに「僕」とするか選択肢が増えます。私は男性であっても「私」をオススメします。

なぜなら日記系のブログは女性が良く読んでくれます。女性が共感しやすいのは断然「私」。「俺」や「僕」はその時点で距離ができ共感されにくいと考えます。

自分のスタイルを貫いたり、カリスマ性を発揮するなら「俺」もありと思いますが、より広い範囲に親しみを与えるなら「私」が良いと思います。

 

~です~ます調

技術系や評価系のブログなら「~だ。」と言い切るのがカッコ良く、信頼度が増します。日記系のブログなら「~です。」や「~ます。」が良いと考えます。

なぜなら文章が優しくなり押し付け感がなくフンワリとするからです。
自分の価値観をやんわりと伝える文章感は嫌われにくく、親しみやすく炎上しにくいと思います。

 

有名ブロガーの真似しない

有名なブロガーは短い文章で簡潔に表現します。また効果的な写真で読者を引き付けます。

有名ブロガーの記事は計算されています。そのメカニズムは私にも分かりません。センスとカリスマ性が融合しているからテクニックを盗むのは困難です。

有名ブロガーの書き方や表現は一般人には真似できません。真似をすると乱暴で話が繋がりにくい記事になります。

個人的には有名ブロガー並みに書いたつもりでも、全く成果は上がらないです。見た目だけ似ている程度になります。

一般人にできること。それは丁寧に文章を書くことです。1滴でも多くの想いを伝えるように書くことが大事です。

 

自分を信じる

ブログを始めるとアクセスが伸びずブログの方向性やジャンル、書き方に不安が出てきます。

ここで思いきってブログをやり直すのも有りですが、私は自分を信じて継続することをオススメします。ブログの世界は継続は力なりが基本です。

ブログは立ち上げた当初は砂漠に生えた1本の木と言われます。なかなか見つけてもらえないのです。

できることはただ1つ。木を高く、広く成長させ見つけてもらえるようにするのです。木はブログを書き続ければ必ず成長します。

諦めてはダメなんです。ゆっくりじっくり木を育てるしかないです。